本文ここから<第1話 死別> 「これからどうすれば・・・」![]() 谷操が生活する老人保健施設「レインボー」=富山市水橋新堀 南向きの大きな窓から、冬の田んぼが見渡せた。背景に、雪化粧をした北アルプス・立山連峰が広がる。平成十九年十二月下旬。夕暮れ時に部屋から外を眺めると、谷操(みさお)(83)は、たまらなく寂しくなる。
車いすの操は、富山市水橋新堀にある老人保健施設「レインボー」三階の一室で暮らしている。窓の外の田んぼや山々が、自宅窓からの、慣れ親しんだ景色と重なって見える。操がレインボーに入ってから一年半、車で十分ほどの家には一度も帰っていない。 市の東の外れに広がる田園地帯に、社会福祉法人「とやま虹の会」(犬島肇理事長)が運営する、レインボーと特別養護老人ホームが隣り合って建つ。平成五年に開所した鉄筋コンクリート三階建てのレインボーには、認知症や体が不自由なお年寄り約百人が暮らしている。ここでは、リハビリや在宅高齢者のためのデイケアサービスも行う。 レインボーのような老人保健施設は、病院と自宅の中間的な施設と位置づけられる。介護が必要な高齢者がリハビリをしながら、在宅復帰を目指すことが建前だが、元気になって家に戻る人は少ない。制度と現実のかい離。その上に建っているのが老人保健施設だ。 人生の長い月日を歩んで今、操はレインボーの窓際にいた。見渡す夕暮れは、次第に闇に包まれ始めた。
大正十三年生まれの操は、戦時中にコメと野菜をつくる富山市宮尾の専業農家に嫁いだ。夜明け前には床を出て、四つ年上の夫、一徳(かずのり)と農作業に励みながら、三人の子どもを育てた。やがて長男が家を継ぎ、二男は家を出て独立。長女は県外へ嫁いだ。 六十代後半になって、操がけがで足が不自由になると、代わって夫が炊事や洗濯もこなした。その夫との別れは、突然訪れた。 平成十六年六月上旬の夕方、八十四歳だった夫が自宅で心筋梗塞(こうそく)で倒れ、病院に運ばれた。病状は落ち着いていたため、高齢で足の不自由な操は家で留守番をしていた。 その夜、二男の稔(56)が家に駆け込んできた。 「お母さん、おやじが危ない、今夜がヤマだって」 容体が悪化したという。稔に連れられ、操は病院に着いた。病室に入ると、既に親せきが十人ほど集まっている。持病で別の病院に入院中の長男も来ていた。 「操が来たぞ」と、親せきの一人が声を掛けると、夫は「あー」と言葉にならない声を出した。 「ああ、私が来たことを分かってくれたんだ」。操は夫の顔を見つめ、手を握った。
病院に駆け付けた夜、操は足の激痛に襲われた。けがをしたわけでもなく、原因不明の痛みだった。そのまま同じ病院に入院。夫が息を引き取ったと知らされたのは、翌日の早朝、病室のベッドでだった。操は声を上げて泣いた。 「こんな体の私を置いて、どうして先に逝(い)くの。これからどうすればいいの」 操の入院は、夫の死後も続いた。もともと足が不自由だったこともあり、入院中に車いすの生活になった。ふさぎ込んでばかりいる様子を見て、看護師たちも心配して声を掛けた。 「谷さん、しっかりして」 「まだ泣いてるの、涙をふいてくださいね」 病院での生活が二年を過ぎたころ、退院しても自宅に戻れない理由になった、もう一つの死別が、操に訪れる。今度は長男だった。 (敬称略) (2008年1月29日掲載) |