ページ内を移動するリンクです。

本文ここから

<第2話 自己嫌悪> もう続けられない

<第2話 自己嫌悪> もう続けられない

介護職員を呼ぶ時に入所者が押すボタン。枕元に置いてある

 その出来事があったのは平成十七年五月だった。富山短大福祉学科長、西井啓子(58)の教え子、高畠宏昇(ひろのり)(27)=高岡市戸出=は当時、高岡市内の特別養護老人ホームで働いていた。

 深夜、二階フロアを見回っていた高畠は、女性の入所者が廊下の隅でうずくまっているのを見つけた。女性は認知症で徘徊(はいかい)することがある。つまずいて倒れたようだ。

 抱え起こそうとした時、別の入所者の部屋で入り口のランプが点灯した。介護職員を呼ぶボタンを、入所者が押したのだ。

 特養ホームには八十人のお年寄りが入所している。二十五人の介護職員が世話をしているが、夜は四人だけになる。夜勤者は一人ずつ交代で仮眠する。高畠はこの時、二階の入所者四十人を一人でみていた。終末期を迎えたお年寄りもいて気持ちが張りつめていた。

 廊下に倒れていた女性をベッドに寝かせてから、高畠はランプがついている部屋へ急いだ。部屋に入ると、ベッドに横になっていた男性の入所者が言った。

 「トイレに行きたい」

 男性は一時間ほど前に高畠に介助され用を足したばかりだ。思わずきつい調子で言った。

 「さっき済ませたばかりじゃないですか」

 男性の顔が悲しげにゆがんだ。


 高畠は高校時代に高齢者福祉の仕事を志すようになった。体が弱かった同居の祖父が入退院を繰り返すようになり「自分が介護してあげられたら」と思った。

 地域福祉の仕事に役立つ社会福祉士の資格を取ろうと東京の大学に進んだが、直後に父が急死。父は離婚して独り身だったため、高岡市の実家に八十三歳の祖父と七十七歳の祖母が残された。高齢の二人を放ってはおけない。高畠はこの年の秋に退学し実家に戻った。間もなく祖父は亡くなった。

 大学はあきらめたが、福祉の仕事に就きたい気持ちは変わらなかった。翌年春に富山短大福祉学科に入学。卒業して特養ホームに就職した。その後、祖母も亡くなった。


 夜勤明けの朝、高畠は、深夜に男性入所者に向かって口にした言葉を思い返していた。結局、男性をトイレに連れて行かなかった。気になって、後で様子を見に行くと、もうおむつの中に用を足していた。お年寄りの気持ちを否定するような言動は、介護職として失格だ。自分が嫌になった。

 特養ホームで働き始めて丸三年。大勢の入所者の排せつや入浴、食事の介助を流れ作業のようにこなしてきた。夜勤は週一回。二時間の仮眠をはさみ、午後四時半から翌朝十時まで十七時間半の勤務だ。心も体も疲れていた。いら立ちを入所者にぶつけたことは、これまでも何度かあった。

 早朝勤務の職員が出勤して来た。高畠はようやく一息つき、休憩室で朝刊を広げた。求人欄の数字が目に留まった。

 「初任給二十万円」

 二十四歳の高畠の月給は手取り十八万円。「今の給料でやっていけるのか」。一年前に結婚していた。子どもも欲しい。将来の暮らしが不安だった。

 夜勤のある不規則な生活も嫌になっていた。「もう続けられない」。このころから、高畠は転職を考えるようになった。

 一カ月後の休日、地元の朝間野球チームの先輩に昼食に誘われた。五つ年上の先輩は、高岡市内の鉄工所で働いている。たまたま車内にあった給与明細を見せてくれた。手取りで三十万円近い。特養ホームであと五年働いても、とても追い付かない額だ。

 職場の待遇に不満を漏らす高畠に、先輩が言った。

 「うちの鉄工所で働いてみるか。社長に紹介してやるから」(敬称略)
(2008年5月19日掲載)

断面 夕陽を織る<44 低い賃金>へ

ページの先頭へ移動