ページ内を移動するリンクです。

本文ここから

越中流 第3部 あすを拓く

15.第一歩

掘削現場で写真に納まるプロジェクトのメンバー。前列左から4番目が中田さん=平成16年7月6日、長崎県島原市

掘削現場で写真に納まるプロジェクトのメンバー。前列左から4番目が中田さん=平成16年7月6日、長崎県島原市

「火道にたどり着いた」 研究成果 世界に発信

 高さ五十五メートルの鉄骨のやぐらがそびえ、掘削機がけたたましい音を響かせた。噴火後間もない火山の火道(マグマの通り道)の掘削。平成十五年一月、この世界初のプロジェクトが長崎県の雲仙・普賢岳(一、三五九メートル)の中腹(八五〇メートル)で本格的に始まった。
 だが二十億円をかけたプロジェクトは、スタートから壁にぶつかる。岩石などの削りかすを地表に排出するため穴に送り込んだ水が、地中で地層の割れ目に流れ出てしまった。水の量や工法を変えて五回掘り直したが、うまくいかない。予算と時間だけが費やされていった。
 プロジェクトを進めた東京大地震研究所教授、中田節也さん(53)=南砺市細野(城端)出身=は振り返る。「みんな真っ青になりましたよ。自腹を切ろうとも思った」
 六回目は新たなデータ分析を踏まえ、火道の到達目標点を変えた。これで地層の割れ目を避けることができ、ようやく順調に掘り進めるようになった。ところが目標地点に達しても、火道にぶつからない。メンバーに焦りの色が広がった。

 十六年六月三十日早朝、最初に変化に気付いたのは、中田さんだった。目標地点を越えて、約二キロまで掘り進んだ地点から上がってくる削りかすが「いつもと違う」。
 成分を分析するため、助手が飛行機で、東京の地震研究所に削りかすを持ち帰った。夕方、分析した数値がメールで中田さんに届く。噴火で山頂に出現した溶岩ドームの成分と一致した。削りかすは、冷えて固まった火道の溶岩だった。
 「火道にたどり着いた」。まず掘削現場に知らせようと、中田さんは受話器を取った。
 プロジェクトの目的は、火山の爆発がマグマに含まれる火山ガスによって起こるという仮説を裏付けることにあった。火道到達はその第一歩だった。
 二年から七年まで続いた普賢岳の噴火は、同時期に起きたフィリピンのピナツボ火山のような大爆発を伴わない“穏やかな噴火”だった。
 普賢岳の山頂で採取した溶岩には、火山ガスがほとんど残っていなかった。火道を上る途中で抜けたと考えられる。
 複数地点で火道の溶岩を採取できれば、どこでガスが抜けたのか分かる。脱ガスのメカニズムが解明できれば、噴火予測などにつながる可能性もある。
 掘削で到達した火道は、山頂から千五百メートルの地点。採取した岩石は、まだ爆発の原因となるガスを含んでいた。これで掘削到達点から山頂に到るまでの間に、ガスが抜けたことは分かった。

 東京大の赤門から北に五百メートルほど行くと、地震研究所がある。中田さんの研究室には普賢岳の溶岩ドームの写真があった。ヘリコプターから中田さんが撮影した。
 普賢岳には今でも、度々足を運ぶ。十九年十一月には、中田さんが中心となって、プロジェクトのさまざまな成果や噴火の被害、地域復興などを総括する国際会議を島原市で開く。「多くの犠牲から得られた教訓を世界に発信しなくてはいけない」。研究に携わった一人として、その思いは強い。


メモ:雲仙科学掘削プロジェクト
 文科省の科学技術振興調整費による国際共同研究。産業技術総合研究所や東京大地震研究所、九州大などの研究機関が参加。雲仙・普賢岳の標高850メートルの北側斜面から南に約2キロ掘り進め、火道から岩石試料の採取に成功した。火道が1本ではなく、新旧の板状の火道が束になって「火道域」を作っていることなどを明らかにした。

ページの先頭へ移動