立山・黒部 世界へ発信
第1章 未開放ルート・黒四無人化
北日本新聞 1.12 ...No9
 昭和三十一年にスタートした関西電力による黒四開発は、平成五年の黒四発電所の無人化で、大掛かりな工事がほぼ終わった。平成八年から見学会として始まった黒部ルートの限定開放は、発電所の無人化という節目をへて実現した。現在の黒部ルートは、ダムや発電所の保守・点検を行う作業員を運ぶのが、主な役割だ。
平成5年に無人化された黒四発電所の内部。発電機などは地下に収められている
     巡 視 点 検 は 月 2 回
 「雪崩で富山に戻れなくなるなど、不自由さはあったけれど、長年働いた場所だけに寂しかった」。発電所が無人化になる直前まで運転主任を務めた関電北陸水力発電所の山本邦雄工事所長(53)は話す。無人化によって十四人の所員は山を下り、発電所の“監視役”はロボットや固定カメラに代わった。

 黒部ダムからトンネル専用バスを乗り継いでインクライン(地下式ケーブル)を降りると黒四発電所に着く。入り口は真っ暗で厳重に施錠されている。高さ三十三メートル、幅二十二メートル、長さ百十七メートルの巨大な地下空間に、発電機のゴーという音だけが響き渡っている。

 「黒部はぜひとも開発しなけりゃならん山だ」。入り口には、建設を決断した当時の関西電力社長、太田垣士郎氏(故人)のレリーフが飾られている。戦後の深刻な電力不足を背景に、昭和三十一年、中部山岳国立公園の特別地域内で電源開発が始まった。自然保護運動による建設反対の声もあったが、経済復興という大命題が優先した。

 黒四建設にかかわった元関電社員の一人は「地下建設は景観に配慮した結果だ。作業が難しく、コストがかかる難点はあったが、雪崩の危険を回避できる利点も生まれた」と話す。発電所だけでなく、変電所を含めたすべての施設が地中にあるという、世界に例のない完全地下式発電所となった。

 長野県大町市から関電トンネル経由で発電所の建設資機材を運ぶため、黒部トンネルが掘削され、黒部ルートが生まれた。発電機や変圧器など大型機器や巨大な水圧鉄管を運ぶには、最低でも二十五トンの重量に耐えることが必要。インクラインが今も最大二十五トンの積載量となっているのはそのためだ。

 黒部ダム完成から約三十年たち、黒部川水系の発電所で唯一有人だった黒四発電所に合理化の波がやってきた。宇奈月町の新愛本制御所から発電所内のロボットやカメラを遠隔制御し、異常がないかをチェックする。社員が黒四発電所に足を運ぶのは、月二回の巡視点検などの時だけ。冬季を除けば、社客や見学会参加者が訪れる機会の方がはるかに多い。

 無人化された黒四発電所は黒部ルート見学会の目玉コースになった。峡谷の雄大な自然と人の営みが調和した黒四発電所は、二十一世紀の環境と開発について、多くのヒントを与えてくれる。