立山・黒部 世界へ発信
第11 世界遺産を目指す 高熱隧道の湯 北日本新聞2002.10.29.....N0.169
 黒部峡谷・下の廊下で唯一の宿泊施設、阿曽原温泉小屋から登山道を10分ほど下りた所に、阿曽原温泉がある。小さなプールほどの浴槽を満たす湯は、すぐわきのトンネルの中から直接引いている。熱気とともにゴーという音を立て水蒸気を絶えず吐き出すトンネル。戦前、黒部峡谷の電源開発で最大の難所となり、大勢の殉職者を出した「高熱隧道(ずいどう)」を建設する際に掘られた、土砂捨てや資材搬送などのトンネルだ。

 小説『高熱隧道』を書いた作家、吉村昭氏は、昭和30年代初めに取材のため隧道を通った。「宇奈月町の欅平から木製の箱車(現在の関電バッテリー式トロッコ列車)に乗ったが、私はあまりの熱さに頭を抱えてしまった。そこが高熱隧道と呼ばれる所だと聞き、あんなすごい所は地上にないと思った」と、作品を書くきっかけとなった体験を振り返る。
絶えず水蒸気吐く
白い水蒸気を吐く高熱隧道のトンネルから湯を引く阿曽原温泉


 日本が戦時体制に向かった昭和初期、軍需産業の電力を確保するため、黒部川第三発電所の建設が、旧日本電力により計画された。資材運搬などのため、欅平から仙人谷まで約6キロを掘ったトンネルは、阿曽原谷と仙人谷間約1キロの地下で高温の花こう岩帯にぶつかった。岩盤の表面温度は160度を超え、作業員は黒部川からポンプアップした冷水をホースで岩盤にかけながら掘削したが、水は瞬時に熱湯となり作業員に襲いかかったという。

 吉村氏は「高熱隧道のすさまじさと工事人の熱意が作品を書いた動機だ。犠牲を踏まえながらも前に出ていく人間の熱意は素晴らしいと感じた」と語っている。

 現在の隧道は、特に温度の高い高熱地帯を安全のため特殊コンクリートで補強しており、中を走る関電・黒部ルートのバッテリー式トロッコ列車も断熱のため密閉され、列車内からはそれほどの熱気を感じない。だが、仙人谷のトンネル出口からは日によって、今も白い水蒸気が吐き出され、地下の高熱地帯で活発な活動が続いていることを示している。

 阿曽原温泉に引いている高熱隧道の湯は、変動はあるものの60度程度と高く、近くを流れる沢から冷水を注がないと熱くて入れない。滋賀県から登山に訪れた写真家の男性は「仙境のような黒部で温泉につかるぜいたくの裏に、電源開発にかけた人々の壮絶な努力と犠牲があったことを知り感銘を受けた」と言い、浴槽に流れる湯をあらためて見つめた。

 黒部峡谷の断がいを切り開き、発電所を造る営為は戦後関西電力に受け継がれた。昭和38年に完成した黒部川第四発電所(最大出力33万5000キロワット)は、仙人谷から黒部川本流沿いの登山道を上流に30分ほど歩いた、S字峡右岸側の地下にある。高熱隧道から黒四発電所にかけた一帯は、世界遺産にふさわしい黒部峡谷・下の廊下の中でも、大自然と人の営為の調和を、具体的な姿として目の前に示してくれる特別のエリアだ。