立山・黒部 世界へ発信
第11 世界遺産を目指す 上の廊下 北日本新聞2002.11.05.....N0.174
 黒部峡谷の黒部湖から上流の薬師沢まで、約20キロの黒部川本流は「上の廊下」と呼ばれる。高さ数百メートルの絶壁が続く黒部ダム下流の「下の廊下」と比べ穏やかな渓谷だが、登山道がないため通過するには本流の中を歩かねばならず、沢登りの技術と装備を備えた登山者しか訪れることができない。電源開発の進んだ下の廊下より以上に手つかずで、今なお原始の姿をとどめる秘境だ。

 黒部川源流部から下り、上の廊下に向かう際の起点となるのが薬師沢小屋。オーナーの五十嶋博文さん(63)=大山町原=は「穏やかな上の廊下も荒天時には増水し、あっという間に荒々しい谷になる」と話す。上の廊下で最も険しい表情を見せるのが、黒部湖と薬師沢のほぼ中間部にある「上の黒ビンガ」「下の黒ビンガ」と呼ばれる大岩壁だ。大正時代に黒部峡谷を探検し、全容を明らかにした冠松次郎は、上の黒ビンガについて「大岩壁が鎧戸のようになって両岸から折れ重なっている」と威容を表現した。
峡谷 原始の姿今も
上の廊下
黒部峡谷の原始の姿をとどめる上の廊下の立石周辺

 冠と同時期に上の廊下の魅力に注目したのが、明治20年に愛知県で生まれた登山家の伊藤孝一だ。伊藤は大規模な撮影隊を編成し、大正12年冬に立山町芦峅寺から立山カルデラの立山温泉、立山室堂を経て、黒部川を渡り長野県大町市に抜けた。江戸時代以前から富山と長野を結ぶ立山越えの経路にあり、黒部ダムの完成(昭和38年)で黒部湖に沈むまで、黒部川を渡る重要地点だった平(だいら)では、周辺の冬景色の映像を撮影した。

 このフィルムは日本初の本格的な山岳映画に編集され、中部・関東圏を中心に各地で上映され、大好評を得た。県立山博物館の吉井亮一学芸課係長は「撮影機を数秒回すのにも多額の費用がかかった時代。撮影スポットに上の廊下を選んだのは、純粋な山への愛情を持っていた伊藤が、特に魅力を感じていたからだろう」と語る。

 黒部峡谷は急流が川底を浸食するためV字型に深く切れ込んでいる。写真家で日本山岳写真集団代表の岩橋崇至さん(58)=神奈川県相模原市=は「むき出しにされた地球の内部を歩くことができるところが、黒部峡谷だ」と、比類のない風景を絶賛する。ロッキー山脈、ヒマラヤ山脈など海外の山岳地帯にも詳しい岩橋さんは「季節感のない海外の山岳に比べ、日本の山は四季折々に変化して多様な姿を見せる。中でも北アは、渓谷や火山など山岳の要素がすべてそろった最高の場所」と話した。

 黒部峡谷は、豊富な水量と急傾斜を持つ特性から電源開発地帯となり、開発を機に季節感あふれる日本の山岳を代表する観光地となった。伊藤が撮影した平は電源開発でダム湖に沈んだが、上流の上の廊下には観光開発、電源開発の手がまったく届いていない。四季の移ろいとともに魅力を放つ黒部峡谷の原始の姿が今も息づいている。