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正念場の地方自治 No.1 連載目次 次へ

第1部 暮らしと境界 中学校がない(上) 2003.01.03
 「やっぱり、みんなと一緒がいいんじゃないの」。昨年末、下村小6年の藤本一馬君(12)=下村加茂中部=は、母親の弘美さん(38)の問い掛けに首を横に振った。4月から小杉町の小杉中学校に進む20人の同級生と離れ、富山市呉羽中に通うことにした。大相撲の力士を夢見る一馬君は「相撲部のある呉羽に行きたい」。そんな思いを秘めていた。

 越境入学になるわけではない。村に中学がなく、児童は6年の2学期終了時までに、進学先を呉羽、小杉の2校から選択する。両校とも村中心部から約7キロ。かつては呉羽が多かったが、十数年前から大半の児童が小杉に進んでいる。弘美さんも、息子は小杉に進むと考えていた。1人だけ別の選択をするとは思わず、なじめるかどうか不安があった。しかし、一馬君の決意は固かった。

他市町村に生徒を委託
12歳で進路選択迫る
 村の児童が、12歳で進路選択を迫られるのは、昭和20年代後半の「昭和の大合併」が影を落としている。戦後、市町村が新制中学の維持運営を担うことになり、1学年3学級の中学校1校を持てる「人口8000人」を目安に、自治体の再編が進められた。

 当時の村の人口は約3千人。隣接の新湊市、呉羽、小杉両町から誘いを受けたが、村は独立を守った。この選択が、児童の進学先を二転三転させることにつながった。

 村は22年、周辺3村で組合立の中学校を設置。だが、北部地区の住民が近くの和合中に子どもを通わせるなど、児童の進学先をめぐって村は混乱した。2年後に老田村(現富山市)と組合立射水東部中を設けたが、長くは続かなかった。

 「突然、中学が廃校になり、小杉に転入した。受験を控えて不安でならなかったよ」。当時中学2年だった尾上清逸さん(55)=下村白石、大門町職員=は振り返る。

 29年に老田村が周辺3村と合併し、呉羽町になったためだった。村議会は組合を解消し、単独で射水東部の運営を続ける方針を決めたが、村当局は「財政的に維持は困難」と判断。尾上さんらは37年、小杉など3校に振り分けられた。以来、村の児童は周辺自治体の中学に「委託生」として通学している。

§   §   §
 あれから半世紀。村は再び合併問題に直面している。下村など射水郡4町村か、それとも新湊市を加えた射水広域圏5市町村になるのか―。周辺自治体では枠組みをめぐる議論が熱を帯び、竹内昭英村長も村議会12月定例会で、射水広域圏での合併を目指す考えを明らかにした。

 「合併は村に欠けているものを得るチャンス。中学もその一つだ」。定例会に先立つ住民説明会で、村長はそう繰り返した。ちょうどそのころ、「平成の大合併」をめぐり、人口1万人未満の町村の“切り捨て論”が浮上。村の「中学選択制」は自然な状態とはいえず、村長には「地方自治の役割を果たしていない」との思いが強まっていた。

 一馬君の妹と弟は、下村小の5年と2年に在籍している。「自由に中学を選べるのはありがたい。けど、村に学校があれば悩む必要もないんですけどね」。母親の弘美さんは、小規模村ゆえの限界も感じている。

授業を受ける藤本一馬君
授業を受ける藤本一馬君(手前)。4月からはクラスでただ1人、呉羽中に進む=下村小

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