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正念場の地方自治 No.14 連載目次 前へ 次へ

第2部 巨大化の未来は 最後の町長(下) 2003.02.02
 白岩川の橋を挟んで続く富山市水橋地区の商店街には、シャッターを閉めたままの店や、仕舞屋(しもたや)が並ぶ。アーケードは外され、「立山町商栄会」(水橋)の看板がぽつんと掲げられている。「商栄会の仕事は、水銀灯の維持管理ぐらいですねえ」。昨年まで水橋商工会長を務めたメガネハウス社長の岡本利夫さん(72)は、寂しそうに地元の通りをながめた。

 商店街が寂れたのは、店の後継者がいないことや、駐車場がなく、郊外の大型店へ客をとられたことなど、あらがえない時代の流れがあった。それでも水橋町が合併した昭和41年当時は、淡い期待もあった。

 「富山市のベッドタウンになれば、住宅が建ち並び、人口がどんどん増える。われわれ商売人も恩恵に預かるやろうと…」と苦笑する。

権限持つ責任者不在
川に隔てられ孤立感
 合併当時に1万6千人余りだった人口は、現在1万8千人弱。増えはしたが、富山市全域の人口が当時の26万人から32万人に膨らんだことを考えると、「合併の効果」をどう評価すべきかは微妙だ。

 岡本さんは、46年に旧町部を除く大半の土地が市街化調整区域になり、宅地造成が進まなかったと指摘する。宅地を造るには農業振興地域からの除外や、開発行為、農地転用の許可が必要。法的にクリアすべき壁は高い。「それに常願寺川という大河に阻まれている。市の中心部にアクセスする橋が少なく、道路の整備も進んでいない。だから、この地域にまで宅地が延びてこないんでしょう」と岡本さんは話す。調整区域からの除外を実現させ、人口を一気に伸ばした舟橋村が隣接するだけに、町の寂しさが強調されるという。

§   §   §

 「じれったい思いで見つめてきたのは確かですちゃ」。水橋町の町長を務めた藤木進さん(81)は表情を曇らせる。

 「中心部から川を一本挟んで離れ、行政の目がここまで届かないという感じがする。発言力のある人間が市に残らなかったのも失敗やった。私が目配りしておけば…と今になって思う」

 41年にスタートした新しい富山市には「参事」という役職が新設され、藤木さんが就いた。助役室の近くに部屋があり、水橋の住民が大勢相談に訪ねてきた。だが「この役職にはあまり権限がなかった」。藤木さんは2年で役所を辞し、民間企業に勤めた。

 旧町時代に助役としてコンビを組み、合併後は水橋支所長になった林清忠さん(85)は「住民に答えようがなく、藤木さんも困っておられた。私自身も支所長だったが、清掃用具一つ買うにしても、本庁のうかがいをたてなければならなかった」とこぼす。地域の声を代弁する議員も、多くは出せなかった。

 2人は最近のニュースで、富山市が合併後の旧町村などに、政令指定都市の区に準じる行政区を置く提案をしたことを知った。権限のある責任者を置き、予算の執行権も持つなら、合併のデメリットも解消されるだろうと期待する。「水橋の合併は失敗ではなかったと信じる。だが、やり方がほかにあったかもしれん」「合併した町を“離れ小島”にさせんためにも、地域の声を反映させる仕組みは必要だ」。2人は顔を見合わせ、複雑な気持ちを言葉にした。

人通りの少ない水橋の商店街
人通りの少ない水橋の商店街。シャッターを閉めた店も目立つ

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