昭和の大合併で、八尾町は周辺の8村を吸収合併した。このうち、中山間地を抱える旧5村が過疎にあえいでいる。最も深刻なのが岐阜県境の大長谷地区で、合併時の昭和32年に約1,700人だった人口は、50年に約400人となり、現在は83人まで減少した。
「村の選択は、すべて裏目に出たがですよ」。旧大長谷村職員の山口茂光さん(70)は、あきらめた表情で語り始めた。
急激な過疎は、高度経済成長による産業、社会構造の変化だけが原因ではない。八尾町の一地区となったことで、国や県、町に過疎防止を働き掛ける有効な手段を失ったことも影響している。
合併で、大長谷は「町議1人出すのがやっと」になり、60年以降は町議会に議員を送り込めなくなった。地元の声を十二分に町政に反映させられず、道路や産業基盤の整備は遅れ、離村に弾みをつけた。
人口の流出を食い止めるため、国が45年に制定した過疎法も救いにはならなかった。対象は市町村で、地区には適用されない。「たった1人の議員が声を上げても大きな力にはならず、中心部の目を大長谷に向けさせるのは難しかった」と山口さん。同じ地理的条件にありながら、独立を守った隣の利賀村が村ぐるみの「陳情能力」を発揮し、国や県から補助金を引き出したのとは対照的だった。
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