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正念場の地方自治 No.15 連載目次 前へ 次へ

第2部 巨大化の未来は 議員減 2003.02.03
 唐突で、「場違い」という印象は否めなかった。1月8日、森雅志富山市長の呼び掛けで実現した富山市と上婦負6町村による合併協議会設立準備会の初会合。法定協議会の設置を目指す場にもかかわらず、吉村栄二八尾町長はまず6町村で新市をつくり、その後に富山市と再合併する「2段階合併論」をぶち上げた。

 反応は冷ややかだった。確かに、6町村の首長や議員は早くから「上婦負基軸」と口をそろえていた。だが、その解釈は異なった。多くは、県都富山市と交渉するには、団結した方が有利な条件を引き出せる−との意味でとらえていた。

 八尾町は、町長、町議会とも6町村による「中規模合併」を志向していた。特に山間部を地盤とする町議らは、富山市との合併に難色を示していた。「大きな自治体になれば、周辺部はどんな運命をたどるか、骨身にしみとるからなあ」。町議の1人がつぶやいた。

届かぬ周辺地域の声
過疎に拍車 昭和の合併
 昭和の大合併で、八尾町は周辺の8村を吸収合併した。このうち、中山間地を抱える旧5村が過疎にあえいでいる。最も深刻なのが岐阜県境の大長谷地区で、合併時の昭和32年に約1,700人だった人口は、50年に約400人となり、現在は83人まで減少した。

 「村の選択は、すべて裏目に出たがですよ」。旧大長谷村職員の山口茂光さん(70)は、あきらめた表情で語り始めた。

 急激な過疎は、高度経済成長による産業、社会構造の変化だけが原因ではない。八尾町の一地区となったことで、国や県、町に過疎防止を働き掛ける有効な手段を失ったことも影響している。

 合併で、大長谷は「町議1人出すのがやっと」になり、60年以降は町議会に議員を送り込めなくなった。地元の声を十二分に町政に反映させられず、道路や産業基盤の整備は遅れ、離村に弾みをつけた。

 人口の流出を食い止めるため、国が45年に制定した過疎法も救いにはならなかった。対象は市町村で、地区には適用されない。「たった1人の議員が声を上げても大きな力にはならず、中心部の目を大長谷に向けさせるのは難しかった」と山口さん。同じ地理的条件にありながら、独立を守った隣の利賀村が村ぐるみの「陳情能力」を発揮し、国や県から補助金を引き出したのとは対照的だった。

§   §   §

 そんな歴史が、「2段階合併論」が浮上する背景にもなった。吉村町長は「町民は大規模な合併を望んでいない」と繰り返し、山間地区選出の町議も「周辺部の切り捨てにつながる選択を、見過ごすわけにいかない」と訴えていた。

 上婦負6町村での合併ならば、現在の議員は7人ほど残れる。だが、富山市を含む合併になれば、当選できるのは3人程度になる。特に過疎の進む山間地区では、これまで以上に議員を出すのが難しくなるからだ。

 しかし、吉村町長の提案は、関係町村の賛同を得られなかった。「単独」か「富山市など7市町村との合併」。町の選択肢は2つに絞られ、1月末に合併の道を進むことで決着した。「単独での財政運営は困難」との判断だった。

 「議員の少ない周辺地域の声は、どうしたって中心部にかき消されてしまう。昭和の合併がそれを証明しているのだが…」。山口さんは、大長谷地区に、町の将来が重なる気がしてならない。

58年に休校となった大長谷小学校の校舎
昭和の大合併で急速に過疎が進み、58年に休校となった大長谷小学校の校舎=八尾町

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