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正念場の地方自治 No.20 連載目次 前へ 次へ

第2部 巨大化の未来は 2つの“中心地” 2003.02.08

 津沢商工会の高畠康成事務局長(59)が意味ありげな表情で、1枚の地図を取り出した。小矢部市の津沢地区を中心に、半径5キロの円が描かれている。隣の砺波市や福野町の中心市街地はすっぽりと収まるが、市中心部の石動地区は外にはみ出していた。「津沢の現実を象徴しているようでしょう」と苦笑する。

 かつて「商工業の中心地」を自負していた津沢地区だが、商店街は連続性に乏しい。街路は狭く、車の駐停車も不便なため、モータリゼーションの到来で一気に衰退した。唯一のスーパーも昨年2月に閉店。住民は、大型店ひしめく砺波市で買い物を済ませ、円外の石動地区まで足を運ぶのは少数派だという。

投資の集中化図れず
尾を引く昭和の合併
 「津沢の声を無視し、大きくなることだけを追い求めた結果だ」。元津沢地区自治振興会長の河原豊志さん(70)=小矢部市清沢、自営業=は、衰退の原因の一つに「昭和の合併」を挙げる。

 小矢部市は昭和37年、津沢を中心とする砺中町と、石動町が対等合併して誕生した。当時の人口は、砺中1万人、石動2万6千人。地方自治法が定める市制要件の5万人に届かないが、国は「平成の大合併」と同じように特例措置を用意していた。新市町村建設促進法の期限を40年まで5年間延長し、人口要件のハードルを一時的に3万人に下げた。

 早くから市制移行を目指していた石動町は「市制実現のチャンス」ととらえ、期限内の合併へと動き出した。一方の砺中町は、中心部の津沢地区が「行政の中心が石動に移れば、津沢が寂れる」と反発。役場や県庁で反対運動を繰り広げた。

 両町議会が37年に新市発足を決議した後も、津沢住民の運動は激しさを増すばかりだった。打開策として、砺中町議会は津沢地区の砺波市編入を決めたが、既に両町の合併は県議会で議決されていた。事態の収拾は、新市が反対派住民と「津沢の振興を図る」との協定を結ぶまで待たなければならなかった。市制施行から、1年半の月日が流れていた。

§   §   §

 合併をめぐる混乱と紛争は、その後の町づくりにも影を落とした。住民同士に感情的なしこりが残った。商工会は統合できず、県内9市で唯一商工会議所がない。関係者は「どんな会合を開く場合でも、まず両地区の出席者の数合わせを考えてしまう」とこぼす。

 行財政運営も常にバランスが要求された。平成10年制定の「中心市街地活性化法」を受け、大半の自治体は、国の補助事業の対象地区を1つに限定しているのに対し、小矢部市は2地区にせざるを得なかった。2つの“中心地”への分散投資は、高岡や金沢、砺波との都市間競争の遅れにつながった。河原さんは「津沢にも問題があった。しかし明確な将来像を持たないまま、国の言いなりに合併しても繁栄など期待できない」と語る。

 砺波広域圏を除けば、県西部の合併の枠組みは混とんとしている。1月末の小矢部市議会市町村合併対策委員会で大家啓一市長は、福岡町との合併を目指す考えを示唆した。一方の福岡町は、高岡市を含む2市1町での合併を検討している。

 市制施行から40年。自治体としての一体感を醸成できないまま、17年3月の合併特例法の期限にせかされるように、再び巨大化を迫られている。

県会議事堂で座り込む砺中町の住民たち
石動町との合併反対を訴え、県会議事堂で座り込む砺中町の住民たち=昭和37年6月18日

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