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■特例法の財政的な優遇策もないころに、なぜ自主合併したのか。
昭和61年、旧北上市の市長になったときの公約に合併を掲げておりました。「日常の暮らしは、市町村の垣根を越えて動いている。行政の垣根だけを残す必要はない」というのが、その理由でしたね。旧北上市と和賀町、江釣子(えづりこ)村は昔から住民の行き来があり、風俗習慣も、生活圏もまったく同じでした。
■今のように期限を切られ、せかされていたわけではない。じっくりと協議できたと思うが。
まず首長同士が毎月、朝食会を開き、意思疎通を図りましたね。議会は以前から交流が深く、住民の意識調査でも7割が前向き。62年ごろから、研究会や法定協議会を40数回開き、住民説明会も120回ほど開いたように思います。住民への資料配布は70回を超えましたね。十分な判断材料を提供できたと自負しています。合併には行政と議会、住民の盛り上がりが不可欠です。
■役場本庁の機能を分ける「分庁舎」方式にした理由は。
最初から分庁舎だったわけではありません。昭和の合併でも役場の位置で血の雨が降ったと聞きますが、やはり最後まで難航しましたよ。江釣子村に将来、庁舎を新築すると決め、当面は旧北上市役所を本庁に、他の役場を支所として使うことにして、新市発足にこぎつけました。支所をオンラインで結びましてね。「勤務先に近い庁舎で手続きができる」と、評判は悪くなかった。
だが、部長クラスを支所長にしたところ、例えば農業分野で、農政部長と支所長はどういう位置づけなのか、「権限と責任」の所在が混乱してしまった。そこで分庁舎方式を採用し、農政部なら農村の役場へと、本庁機能をそれぞれ分けて置くことにしました。
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