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「最初は自治なんて意識はなかった。暮らしを守りたい一心だったよ」。辻駒会長は協議会の設立経緯を語り始めた。
かつて独立した村だった川根は昭和31年、周辺2村との合併で高宮町になった。当時は人口2千人だったが、高度経済成長期に過疎と高齢化が急速に進んだ。高校の分校、中学校が消え、唯一残った小学校も児童減が止まらない。
47年には集中豪雨に襲われ、壊滅的な打撃を受けた。陸の孤島と化した川根に支援の手は届かず、住民は協議会をつくり、被災家屋の後片づけや消毒を急いだ。
水害を機に「町は何もしてくれない。ならば自分たちで」という機運が芽生えた。廃校となった中学校の校舎問題が浮上した63年、そのまま集会所に転用する考えを示した町に対し、独自の跡地利用計画を策定。地域をまるごと自然博物館にしようと、都市住民が宿泊できる研修施設「エコミュージアム川根」の建設を提案した。
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