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正念場の地方自治 No.48 連載目次 前へ 次へ

第4部 合併と市町村議会 中選挙区制(上) 2003.04.23
 新年度がスタートした1日、砺波地域8町村の法定協議会の初会合が、井波町総合文化センターで開かれていた。広いホールにコの字型にテーブルが並び、町村長や議長、学識経験者ら総勢33人の委員がテーブルの資料に視線を落とす。2時間に及ぶ合併協議は、最後の議案「議員定数と任期」にたどり着いた。

 会長の清都邦夫井波町長が切り出した。

 「何か、ご意見はありませんか」

 委員から手は上がらない。新市の誕生に合わせて選挙を行い、議員定数を1回目「34」、2回目「30」にするという議案の中身は、前段階の任意協ですでに合意していた。清都町長は反応を見ながら、含みを持たせて語り掛ける。「いろんな配慮をしていますからね」。議案は、全会一致で了承された。

 清都町長の言う「配慮」とは何か。8町村すべてが譲歩できる範囲で、議員定数を各町村に割り振ったことだ。

 人口6万人の新市で、法律が定める全議員数の上限は30。議員1人当たりの人口は2,000人になるが、利賀、平、上平、井口の4村は住民が1,000人前後しかいない。新市の全域で議員を選ぶ「大選挙区制」では、村から出馬する候補が当選しにくい。村の不安を解消する「割り振り」を実現させようと、8町村は“奥の手”を使った。福野町が昭和29年から平成7年まで採用していた「中選挙区制」だった。

再編後のカギ握る存在
議会の代わり務まるか
 「あまりいいもんじゃありませんよ」。福野町の磯辺実町議は、初めて出馬した平成3年を思い起こす。掲げた公約は、ほかならぬ「中選挙区制の廃止」だった。

 市町村議選は大選挙区制が原則とされる。中選挙区は、公職選挙法の「特に必要がある時」のただし書きを適用した特例で、離島など特殊条件に配慮して実施される。

 福野町が41年間にもわたって、中選挙区を採用したのは「昭和の大合併」の名残だった。町は昭和29年、旧東石黒村と対等合併。人口の少ない村から議員が出せないとして合併条件に盛り込んだ。30年の選挙では旧村を軸に5つの選挙区を置き、旧高瀬村の一部を編入した34年には7つ、38年からは4ブロックに分けた。

 福野町は中心から端まで約3キロとコンパクトな地形。過渡的措置だった制度はその後も続き、大選挙区への移行は「町民に根付いている」のを理由に何度も見送られた。元町議は「合併の経緯を知る議員から説明されると、反論できない雰囲気になった。人口の少ない地区では『費用のかかる選挙をしないで済む』という声もあり、大選挙区に踏み切る決め手がなかった」と振り返る。

 昭和50年には労働団体などが、大選挙区制を求める直接請求の署名運動を展開。請求に必要な数の10倍を超える2,500人の署名を集めたが、中選挙区推進派がそれを上回る署名を集めて退けた。その後、町青年議会が実施した町民アンケートでも、大選挙区への賛成はほぼ半数だった。

 「どのブロックも、自治振興会などの集まりで地区推薦を決めた。推薦なしで当選するのはほぼ不可能。候補者が熱心なのは地元の問題だけで、政策は二の次になった」と磯辺町議。中選挙区の弊害は身に染みている。

 だが「地域の声を吸い上げる」という中選挙区の趣旨そのものも、やがて破たんした。議員は次第に地盤で浮上した問題について、表立っては議会で取り上げないようになった。町民の根強い批判がつくりあげた奇妙なルールだった。大選挙区への道が開かれたのは平成7年3月議会。11年の次回選挙から、大選挙区で行うことを提案理由に盛り込んだ。「昭和の合併」の条件は、実に半世紀近くも生き永らえた。

砺波地域8町村の法定協議会初会合
砺波地域8町村の法定協議会初会合。合併後の選挙方式などを協議した=4月1日、井波町総合文化センター
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 砺波地域8町村は、当時よりさらに広いエリアで合併する。「いきなり大選挙区にすれば、混乱が起きる」という配慮から、今回も浮上した中選挙区制。「村の事情も分かるから、最初は仕方がない。だが、合併後2回の選挙を悪しき前例にしてはならない」。磯辺町議の心中は複雑だ。

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