平成元年発行の村制100周年記念誌には、赤ちゃんからお年寄りまで村民全員の顔写真が載っている。こぢんまりした村だから可能になったアイデアだ。人口は年々減り、今は約850人いる。
小さな村の住民たちは身近な集落ごとに協力し合って暮らしてきた。雪が解けるころには道に落ちた岩を片づけ、用水を清掃する。合掌集落も支え合って伝承してきた。
住民が大切にしてきたのは「和」だ。議会の候補者を地区割りで決めるシステムは、「無用な争い」を避けるために欠かせない知恵だった。地区割りは8つ。候補はそれぞれの寄り合いで選ぶ。「選挙をすれば、しこりが残る」といった声が根強く、昭和46年の選挙を最後に、無投票当選が延々と続いてきた。
人口の多い皆葎(かいむくら)と西赤尾町からは2人出し、あとは1人ずつ−。だが、今回はその調整がつかなかった。合併を控えて議会が改革の姿勢を示し、これまで10人だった議員定数を8人に減らしたためだ。いざ改選の時期になると、これまで通り代表者を出したい地区の意地と、各候補の思惑が絡み合った。告示前日になって候補が決まった地区や、票の争いを嫌って擁立を見送った地区もあったが、結局、1人オーバーの選挙戦に突入した。
ある陣営の事務所。候補者が「昔はどんな選挙をしたんですかね」と支持者たちに水を向けた。32年前に選挙を戦ったという70代の男性が答える。「集会も開いたがやはり地縁、血縁よ。最後には票の行方がきっちり読める。それぞれ感情的になり、言わんでいいことまで言ってしまう。気をつけた方がいい」 告示の翌日から雨の中の選挙戦が続く。初日は2台だった選挙カーも日に日に増え、24日には計4台が村を疾走。次第に熱を帯びてきた。
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