ノーベル化学賞に田中氏(富山市出身) 目次へ >>ホームへ
アンチ優等生 頂点に 「堅実さ 富山のおかげ」 2002.10.10
 「世界の権威」ノーベル賞を射止めたのは、会社のセールスにも同行する富山市出身の若き企業研究者だった。がんの早期発見につながるタンパク質解析法を開発した島津製作所の田中耕一さん(43)。「寝耳に水で、信じられません」。作業着姿で9日夜、驚きと喜びを語った。「失敗も多いが、人と違うことをやってきたために開発できた」とも。実直な人柄そのままに、第一希望でなかった企業で研究に没頭、頂点を極めた。会見で「コツコツ続ける堅実さと粘り強さは富山の地のおかげ」と話し、富山の学校の後輩たちに向け「自由な発想で物事に取り組んでほしい」とメッセージを送った。「大学をビリで卒業したわたしが…」と語った小柴昌俊東大名誉教授(76)に続く受賞。連日の「アンチ優等生」の快挙に、祝福の声が相次いだ。

 「全く寝耳に水で信じられません」「知っていたら背広を着てきたのに、会社の作業服ですいません」。ノーベル化学賞受賞が決まった田中耕一さん(43)は9日夜、普段と同じ作業服姿で、島津製作所(京都市中京区)の記者会見場に現れ、受賞の感想や連絡を受けた経緯、研究内容を照れくさそうに話した。

 午後6時前、知人から電話があり「15分後ぐらいに重要な電話があるから待っているように」と言われるまでは「そろそろ退社しようと思っていた」。心の準備は全くなかった。

 スウェーデンの王立科学アカデミーから英語で電話がかかったのは午後6時15分。「『ノーベル』『コングラチュレーション』という言葉は分かったが、まさか本当のノーベル賞とは。似たような賞があるのかと思った」

 その後「おめでとう」という電話が相次ぎ、同僚も騒ぎ始めたため、事態を理解したという。

記者会見で質問に答える田中耕一さん
記者会見で質問に答える田中耕一さん=9日夜、京都市中京区の島津製作所(共同通信)
 「変人と言われながら、常識にとらわれず、やってきたことが報われた」。大学で現在の研究とは全く関係ない電気工学を専攻していたことに触れ「(化学の)専門知識があったらそれにとらわれていた。全く新しい発想で研究できたのがよかったと思う」。

 うつむきがちに感想を漏らしていた田中さんが正面を向き、熱く語り出したのは研究内容。「混ぜるつもりはなかったが、2つの物質を間違って混ぜてしまった。放っておいたら従来の方法では測定できないものが測定できた」「ひょうたんから駒というか、失敗は成功のもと」。説明は“立て板に水”だった。

 「子供のころは電車の運転手になりたかった」。いま「自分はドクターではなく、エンジニア」。技術者の誇りをうかがわせた。

 母親に受賞を伝えると、富山弁で「ほんとけ(本当か)」と驚かれた。記者会見中に携帯電話が鳴った。なかなか連絡が取れなかった妻からだ。緊張していた顔が大きく崩れた。

弟の受賞にびっくり 富山市の実家で兄ら 2002.10.10
 「弟がノーベル賞なんて、びっくりした」。富山市新川原町の田中耕一さんの実家では、兄の雅之さん(51)が興奮を抑えるように話した。

 午後7時前、テレビのテロップに耕一さんの名前が流れたことに母、春江さん(77)が気付いた。「同じ名前だね」。雅之さん(51)と世津子さん(45)夫妻、長女の利津子さん(10)もトップニュースで耕一さんの受賞を伝えるテレビを見つめた。

 間もなく、耕一さんから電話で報告が入った。受話器を取った雅之さんが「本当かよ」と問い掛けると、耕一さんは「間違いない。何がなんだか分からない。信じられない」と答えた。

受賞を喜ぶ兄の雅之さんと母の春江さん
田中耕一さんのノーベル化学賞受賞で喜ぶ兄の雅之さん(右)と母の春江さん
 耕一さんは5日から7日まで法事のため、妻、裕子さん(37)の実家=富山市町村=を訪れていたが、賞の話はまったく出なかった。

 耕一さんは生後間もなく実母を亡くし、実父の弟、光利さん宅に引き取られた。雅之さんと康子さん(55)、博史さん(53)の3人兄弟にかわいがられて育ち、その後、籍が入って名実ともに兄弟となった。耕一さんが6歳のとき、春江さんが入院すると、秋の草花を摘んできてくれた。「優しい子だった」と春江さんは振り返る。

 雅之さんは「勉強は好きだったが、兄弟で一番おとなしかった。まさかここまでになるとは…」と感慨深げ。「イギリスやアメリカなど外国でいろいろ仕事をしていたようだし、経験と運がよかったのかも知れない」と話していた。



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