ノーベル化学賞に田中氏(富山市出身) 目次へ >>ホームへ
アンチ優等生 頂点に 「堅実さ 富山のおかげ」 2002.10.10
 富山医薬大での講演のため、来県していたノーベル賞受賞者の米マサチューセッツ工科大学(MIT)の利根川進博士=大沢野町名誉町民=は9日、富山市内の会合で一緒だった中沖知事や小野武年富山医薬大教授らとともに県人初のノーベル賞受賞を喜び合った。

 小学生から中学校時代にかけて大沢野町で過ごした利根川博士は「日本人のノーベル賞が1年に2人も出るなんて、非常にエキサイティング。本当に素晴らしい」と笑顔で語り、富山市に来ていた時に同市出身の田中耕一さんのノーベル賞受賞の知らせを聞いたことについては「まさに神がかり的。田中さんに会ったことはないが、ぜひ会っておめでとうと言いたい」と語った。

受賞を喜ぶ利根川博士(中央)と中沖知事(右)
田中耕一さんのノーベル化学賞受賞を喜ぶ利根川博士(中央)と中沖知事(右)、小野武年富山医薬大教授=9日午後9時ごろ、富山市内
 知事も利根川さんと握手し「大変素晴らしい。富山にとって大きな励みになる」と喜んだ。

 利根川博士は昭和62年「多様な抗体を作り出す遺伝的原理の発見」で、ノーベル医学生理学賞を受賞した。

礼儀正しくひたむき 高校の恩師語る 2002.10.10
 「一つのことに一生懸命努力する生徒だった。選んだ道を突き進んだことが、今の田中さんを築いたのでしょう」。田中さんが富山中部高校3年生の時、クラス担任だった古川春夫さん(68)=富山市田刈屋、富山商船高専非常勤講師=は教え子の偉業を心から喜んだ。

 田中さんは高校時代から成績優秀だった。だが自分からそれをアピールするようなことはなく、教師や同級生に対しても礼儀正しく接していた。テレビ中継された会見で「それほどの仕事をしたと思っていない」と話す田中さんの姿を見て、古川さんは「今も変わらず謙虚ですね」と笑った。

 ただ控えめな一方、自分の意志を貫き通すところがあった。クラスの話し合いでも、ほかの生徒の意見をじっくり聞いた後で、まとめるように発言していたという。

 古川さんの自宅にかけつけた当時の学年主任、石井嘉男さん(73)=富山市今木町、無職=は「生徒たちに、何をやりたいかを考えさせて進路指導した」と振り返る。古川さんは「進路を選ぶ際、東北大で何をやりたいかをすでに決めていたのでしょう」と話した。
「後輩も続いて」 母校の校長ら 2002.10.10
 卒業生の大きな栄誉に、富山市内の母校の校長らは喜びと祝福の言葉を寄せた。

 富山中部高校(富山市芝園町)は、報道陣からの問い合わせで受賞の一報が届いた。東京に出張中の浅田茂校長(54)は「学校として大変うれしい。生徒たちにいい目標ができた」自宅から駆け付けた喜多埜昭博副校長(59)は「びっくりしている。学校改革に取り組んでおり、ゆくゆくはノーベル賞の受賞者を出したいと話していた」とほほ笑んだ。

 富山市芝園中学校の水落崔志校長(57)は「本校から受賞者が出たのは驚き。県内一の中学を目指し、生徒も続いてくれることを期待したい。夢を大きく持ってほしい」と感激した様子。

 八人町小学校の西田一弘校長(56)は、富山市新川原町出身とテレビが伝えるのを聞いて、ひょっとすると同校出身者ではないかと思った。「子どもの励みにもなり、地区の人にも名誉なこと。早速、集会を開いて先輩から受賞者が出たことを児童に伝えたい」と、喜びを表した。

「大物」誕生に同級生大喜び 2002.10.10
 「ノーベル賞受賞者がまさか同級生とは」と、高校時代のクラスメートは一様に驚きの声を上げた。田中氏の明るく、まじめな性格を評価する人が多く「クラスの中に、ものすごい大物がいたものだ」と喜んだ。

 友人たちは、何ごとにも熱心に打ち込む姿が記憶に残るという。3年生の時、同じクラスだった富山市山室、会社員、吉田雅雄さん(44)は「とてもまじめで、こつこつやるタイプだった」と振り返る。富山市大泉中町、高校教諭、山本美喜男さん(43)も「優しい性格だが、一つのことに打ち込む集中力はすごかった」と受賞に納得した様子。

 人柄の良さにも定評がある。幼稚園、中学校、高校が同じだった富山市米田すずかけ台、主婦、江川ゆかりさん(42)は「女性とも気軽に話せるきさくなタイプ」と話す。気になる当時の成績については「クラスで一番というわけではなかった」が「授業で分からなかったところは、すぐに先生に聞いていた」という。友人の思わぬ栄光に、同級生は電話を掛け合い、心から喜び合った。

人一倍うれしい 県内取引先 2002.10.10
 田中耕一さんが勤める島津製作所に医療用具や産業機械部品を納入している砺波製作所(砺波市矢木)の高野利男社長(64)は「本人と面識はないが、人一倍うれしい。私をはじめ社員にとっても、仕事を通して世界につながっていると思うと誇りに感じる」と、田中さんのノーベル化学賞受賞を喜んだ。

 受賞は、午後6時ごろ、京都の島津製作所からの電話で知った。長年付き合いのある会社でしかも田中さんが県出身ということもあり、すぐに祝電を打った。

 高野社長は「あす京都の島津製作所に出掛けて、祝福したい」と話した。

 県内では、工作機械部品など製造の三基精工(富山市三郷、山岸洋夫社長)も島津製作所の協力業者となっている。


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