ノーベル化学賞の受賞が決まった田中耕一氏(43)=富山市新川原町出身=は10日午前、勤務先である京都市の島津製作所で北日本新聞社の単独インタビューに応じた。受賞の瞬間をいち早く伝えた本紙号外や富山市の実家で受賞を喜ぶ家族の表情、同級生や恩師らの声を紹介した本紙朝刊を懐かしそうに見つめ、終始リラックスした表情。「この騒動が終わったらすぐにでも富山に帰りたい」と帰省を心待ちにした。
吉報から一夜明け、田中氏は普段よりも少し早い、午前8時前に出勤。前日の会見時と違って、作業服ではなく、取引先を訪ねるときしか着ないグレーのスーツに紺のネクタイ。「実感はまだわかない。新聞やテレビを見ていると、やはり本当なんですね」と声を弾ませた。
報道各社の取材が終日分刻みで続き、山田啓二京都府知事らの祝福が相次ぐ中、田中氏は北日本新聞社の取材に快く応じた。父や母が懸命に夜遅くまで働く姿を見て「頑張れとか、着実にやっていけとかいうような言葉は必要なく、自分自身がそういう環境に置かれていたため、今の『着実に、とことんまでやる』性分になった」と富山で過ごした自らの「原点」を振り返った。
化学の道を選んだ理由は「自分がやったことが人の役に立てば、それが自分のやりがいになる」ときっぱり。まじめな人柄をうかがわせた。「これまでやってきた(質量分析)研究は非常に面白い分野。今の研究をさらに深めていきたい」と意気込みを語った。
本紙朝刊を広げ、恩師や学生時代の写真を見つけ「どこから(若いころの写真が)出たのかな」と表情を和ませ、「家の周りが車だらけで、相当近所迷惑になったんじゃないかな。富山のみんなはえらく驚いたでしょう。自分が一番驚いているんですから」と笑みを浮かべた。
県民にメッセージを求めると「常識にとらわれずにガンバって下さい 2002・10・10 田中耕一」と色紙に書き「富山という地方出身やから、と最初から考えることはやめてほしい。富山県民も自由な発想で頑張ってほしい」と力を込めた。 |
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| 本紙朝刊を開いて県民の祝福ぶりを知り驚く田中氏=京都市の島津製作所 |
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