ノーベル化学賞に田中氏(富山市出身) 目次へ >>ホームへ
■ノーベル賞 田中耕一氏はその時 − 同時進行ドキュメント 2002.10.11
 43歳のサラリーマン研究者がノーベル賞への階段を一気に駆け上がった。世紀の大発明を成し遂げたのは20歳代。世界が認めた田中耕一氏=富山市新川原町出身=の快挙はビッグニュースとして全国を巡り、関係者はもちろん、広く国民、県民に希望を与えた。時のヒーローとなった田中氏の激動の日々と、タンパク解析技術にたどり着いた才能のバックボーンに迫る。
愚直なまでの誠実さ
 受賞決定から一夜明けた10日午前8時前、田中氏は晴れ晴れとした表情で、勤務先の島津製作所(京都市)に出社した。作業服姿だった前夜の記者会見とは一転、グレーのスーツに身を包み、待ち構えた報道陣の取材にしっかり答えた。

 「昨日は突然のことで、何が何だか分からなかった。今朝の新聞やテレビに自分の顔が出ているのを見て、ようやく受賞の実感がわきました」。笑顔が青空に映えた。

 職場のテクニカルセンターで同僚ら約100人に出迎えられ、祝福の万歳を受けた。上司と握手し、はにかむ姿に生粋の研究者の素顔がのぞいた。
受賞決定から一夜明けた心境を語る田中耕一さん
大勢の報道陣に囲まれ、ノーベル化学賞受賞決定から一夜明けた心境を語る田中耕一さん=10日午前8時5分、京都市中京区の島津製作所

 いつもはラフなシャツとジーンズで通勤する田中氏。この日のスーツは、富山市町村の実家に戻っている妻、裕子さん(37)に電話し、しまってある場所を教わった。「ネクタイは好きなのを選んでね」という裕子さんの言葉に従い、チェックの柄をしめた。

 出世には目もくれず、現場にこだわった研究者魂。社内では「変人」の評もあったが、愚直なまでの誠実さは子どものころから表れていた。

 富山市新川原町の実家には午前9時5分、大永副知事が訪れ、兄の雅之さん(51)や母の春江さん(77)にお祝いの言葉を贈った。森富山市長や中沖知事らも次々と駆け付けた。前日から続く祝福の“洪水”に、春江さんは末っ子の田中氏が偉業を成し遂げた実感をかみしめた。

 春江さんの脳裏に田中氏の思い出がよみがえる。「小学校のころから、宿題は絶対に忘れたことがなかった。几帳面な子だった」。研究に必要な粘り強さと真摯さは、幼年時代から培われていた。


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