ノーベル化学賞に田中氏(富山市出身) 目次へ >>ホームへ
本紙単独インタビュー詳報 2002.10.11
 ノーベル化学賞が決まった田中耕一氏が、北日本新聞社の単独インタビューに答えた。詳しい内容を紹介する。
(社会部・川渕恭司記者)
報酬より面白さ第一
研究について丁寧に説明する田中氏
研究について丁寧に説明する田中氏。研究分野の話になると、一層目の輝きが増した=京都市の島津製作所
 ―受賞された今の気持ちは。

 「実感がまだ十分わかない。けさの新聞やテレビを見て、こうして記者に囲まれているということは、やはり本当だったんですね。周りの間接的なところで受感し始めている」

 ―受賞を機にどういう仕事に発展させたいか。

 「私自身はこれまでと変わらず、許されることなら、今の研究をさらに深めていきたい。(質量分析は)これまでやってきて非常に面白い研究だし、今後ともまだまだ開発することがたくさんある。さらに続けていきたい」

 ―当初から医療に役立つと考えていたか。

 「そこまで考えていなかった。タンパク質を計れた時、すごいことができたとは思ったが応用まで思いつかなかった。人の命を救うだけでなく、病気を治療したり、より健康になることに利用できることは非常にうれしく、やりがいがある。企業に入ろうと思ったのも、何か自分のやったことが役立つことで、自分のやりがいになると思ったから。結果論だが、こういうところまでたどり着けて良かった。私の仕事の原点は「父の背中」を見て育ったこと。母も仕事を手伝い、夜1、2時まで伝票を書いている姿を見てきた。頑張れとか、着実にやっていけという言葉をかけるも必要なく、自分自身がそういう環境に置かれていたため、今の『着実に、とことんまでやる』ということができた」

 ―タンパク質の質量分析を行った理由は。

 「やってみたら計れただけ。分子量の高いものしか計れなかったので、もっと高いところまで計れないかが当初の目標だった。失敗したことでうまくいき、タンパク質まで計れるようになった。あくまで結果論だ。糖や脂質など幅広く計ることまで目指したが、ふたを開けてみれば…という感じだ」

 ―この分野には多くの研究者がいる。

 「大学で集中して研究したり、さらに企業で研究している非常に先端的な人はたくさんいる。そういう方に今まで日本で受賞者がいかなかったのが逆に不思議だ。なぜ私が最初に賞を頂くのか。自分のように若輩者で、ひょうたんから駒で出たような、たまたま世界で認められた人間から比べれば、もっときちんとやっている方に表舞台に出てほしい。(自分を見ると)綿密に計算されたものでなくても、世界の役に立てばいいという新たな受賞対象ができたのかなと思う。それなら、受賞して当然の人がたくさんいる。そんな人に機会を与えて、研究を盛り上げていく必要がある」
すぐ富山に帰りたい/賞金で世界旅行を
 ―企業の中で研究することについてどうか。

 「島津製作所中央研究所では、直接製品に結び付くものでなくていい、3年後、5年後に、できれば光る石になるものを自由に開発しようという風土だった。潤沢な資金の中で研究できた。企業の中にありながら、大学のような利点があった。非常に恵まれた状態だったからこそ、そういう恵まれた開発が行えた」

 ―会社に報酬や対価は求めるか。

 「幸いにもそんなにお金に困っていない。報酬というよりも、面白いとかやっていて楽しいが第一。特許などになりにくい研究なので、対価を求めることは考えたことがない。国内特許は出してあるが、国際特許は出していない。当時はそれほど大それたこととは思わなかった。出していれば利益になっていたかもしれない。だが、どうだろう。特許としてがんじがらめにして、みんなが使えなくなったら、こんなに広まっのかどうか」

 ―子どもの理科系離れが進んでいる。学校、理科教育の在り方は。

 「数学でいうと微分・積分が必要ないと言われているが、実際にどう役立つか、化学でもどういうふうに面白いかは大学ぐらいにならないと分からない。もう少し工夫して、小学校でも、これは面白い、こういうことに進めばやりがいがあると思えることを、中に含められるような教育だったら、理科離れが起こりにくくなる。(授業では)面白いところが抜けてしまう。やろうと思うと先生は負担になる。そういうところを改造すればいい。どうしても常識に阻まれて遠回りしてしまうことはよくある。常識にとらわれるあまり前へ進めない方は、一歩引いてみるといい」

県民の祝福ぶりを知り驚く田中氏
北日本新聞社に寄せる色紙にメッセージを書く田中氏=京都市の島津製作所
 ―賞金はどう使う。

 「さっきも聞かれました。賞金を頂くことを知らなかったので、全く考えていなかった。嫁さんと世界一周しても、それでも余るかな。金額を聞いて驚いた。賞がもらえるだけで名誉なのに、お金まで付いているなんて。しかも、こんなに莫大な金額だとは知らなかった」

 ―尊敬する研究者は。

 「たくさんいて、どなたが特にということはない。ただ非常に影響を大きく受けた思いつく人は西澤潤一先生(東北大)。トランジスタを開発して、世界に誇る技術を開発された。すごいなと思うし、とてもあそこまではいけない」

 ―自ら商品を売り込む営業マンの経験もある。

 「実際にお客さんに使ってもらい、喜んでもらえることを直接見ることができる。研究の励みになるし、それに応えられるようなものを作ろうとする気にさせてくれる。自分でモチベーションを高めることができた。どんな年齢の人でも、やりがいのあるきっかけを与えてもらったら、それを大切に育てていく」

 ―田中さんは若くして名誉を手にした。

 「こういう若さでこんな賞をいただくと、この後、みんなから大したことやらないじゃないか、と思われるのはある程度容赦していただかないといけない。まだこれからです」
「地方出身」を気にしないで
 ―号外や朝刊には家族や恩師ら、懐かしい顔が出ている。

 「ぜひ読ませてください。家の周り車だらけで相当近所迷惑になったんじゃないかな。親せきや近所はえらく驚いたでしょう。自分が一番驚いているんですから」

 ―県民にメッセージをください。

 「考えておけば良かったな。そうだね、おれ、富山出身やから、と最初から地方だからと考えることはやめてほしい。実は私自身もそう思った。富山だから、田舎から出てきたんだからということで決まるのでない。地方ということを気にせずに、頑張ってほしい。運もついてくる」

 ―妻・裕子さんの話では受賞前日の8日、いつもは午後7時半に帰ってくるのに、10時ぐらいと遅くなった。あらかじめ受賞を知っていたのか。

 「それは全然関係ありません。仕事で忙しくて受賞とはゼンゼーン関係ありません」

 ―「変人」と呼ぶ人もいると聞く。

 「大学時代までは変人と呼ばれた覚えはない。会社に入ってから。同じ変人の小泉さんも喜んでくれますかね」

 ―民間企業の研究者では日本人初、1年に2人のダブル受賞、史上2番目の若さと記録づくめの受賞だ。

 「若いから、年取っているからどうのこうのなんて関係ない。50歳からでも、いつからでもスタートできる。頑張れると思う。年取っているからダメだとは考えないでほしい」

 ―しばらく、忙しい日が続くが、今一番何をしたい。

 「もうそろそろ寝たくなりました。昨日寝れなかったので。多分お昼を食べたら、睡魔に襲われると思います」

 ―12月の授章式ではどんなスピーチを。

 「それまでは何とか考えます。誰かに手伝ってもらって考えてもらいます。誰かに頼まなきゃ」

 ―義姉の世津子さんは本紙で手作りおもちゃの連載を手がけたこともあり、富山では「おもちゃ博士」として活躍しています。

 「プラモデルのように作ってあるものを買うことが子どもたちの間で当たり前になっている。せっかく作るのが面白いのに。彼女はそういうところで頑張ってくれるのはすごいうれしい。尊敬しています」

 ―富山にはいつ帰省しますか。

 「この騒動が終わったら、すぐにでも富山に帰りたいです」

 ―富山名物「ますずし」を持ってきました。

 「これはみんな喜びます。今は食べる元気がありませんが」


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