ノーベル化学賞に田中氏(富山市出身) 目次へ >>ホームへ
独創性 少年時代から −受賞までの軌跡 2002.10.11
 優しくまじめな富山の少年が、世界第一級の化学者に―。ノーベル化学賞受賞が決まった田中耕一さんは、日本企業の現職社員では初の受賞となった。富山で育ち、世界の賞賛を浴びるまでになった若きサラリーマン。生い立ちからノーベル賞受賞決定までの軌跡を追った。
 6歳のとき、母の春江さん(77)が入院すると、田中さんは秋の草花を摘んで見舞った。「とても優しい子供だった」と春江さん。スウェーデンの化学者ノーベルは、自分が発明したダイナマイトが戦争に利用されることに心を痛め、世界の平和や発展に尽くした人に贈る賞の創設を遺言に残した。ノーベルが持っていた人へのいたわりや優しさは、幼い田中さんの心にも秘められていた。

 田中さんは富山市八人町小学校へ入学。勉強はいつもトップクラスで、「こうちゃん」の愛称で親しまれていた。

大学時代の田中さん
友人たちと旅行をして楽しむ大学時代の田中さん
並外れた集中力も
小学生のころの田中さん
大阪万博のシンボル「太陽の塔」をバックに記念撮影する小学生のころの田中さん
 化学など理数系に興味を持ちだしたのがこのころ。田中さんは、ホウ酸を使った実験で温度が下がってできた結晶を「雪が降ってきた」と表現した。小学校4―6年まで担任だった上市町の沢柿教誠教育長は、この独創的な表現に驚いたのを覚えているという。

 富山市芝園中学校、富山中部高校へと進学。授業で分からないことがあればとことん教諭に質問する生徒だった。高校の同級生らは「一つのことに打ち込む集中力はすごかった」と話す。東北大学に進み、専攻したのは電気工学。現在の研究分野とは違っていた。大学時代の恩師、安達三郎東北大名誉教授は「おとなしいが胸に秘めたものがあった」と語る。恩師や学友たちの言葉は、田中さんが学生時代から並外れた集中力とひたむきさを持っていたことを物語る。

 大学卒業後、総合精密機械メーカーの島津製作所に就職。ちょっとした実験の手違いが、ノーベル賞のきっかけだった。普通は混ぜることのない2つの物質を混ぜ「放っていたら従来の方法では測定できないものが測定できた」。常識にとらわれない独創性や優れた集中力が花開いた。

 田中さんの開発したタンパク質の質量分析法は、新薬開発やがん研究に大きく貢献している。受賞決定後、「成果をどのように応用できるか、さらに研究に磨きをかけたい」と田中さん。人類の平和や発展を理念とするノーベル賞の栄誉を胸に、サラリーマン研究者はまた研究に没頭する毎日を始める。


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