ノーベル化学賞に田中氏(富山市出身) 目次へ >>ホームへ
■ノーベル賞 田中耕一氏はその時 − 同時進行ドキュメント 2002.10.12
 雲一つない澄み切った青空に真っ白な横断幕が映えた―。ノーベル賞を受賞する田中耕一さん(43)の実家がある富山市新川原町。11日午前9時半ごろから祝いの横断幕の取り付けが始まった。「祝 ノーベル化学賞受賞 田中耕一氏」。大きな文字が、地元の喜びを象徴していた。
胸を張り県民性紹介
 住民と一緒に兄の雅之さん(51)と母の春江さん(77)が横断幕を見上げた。雅之さんは「ありがたいけど、ちょっぴり恥ずかしい。耕一もきっと同じ」と目を細め、あらためて弟の偉業をかみしめた。「(受賞決定は)町民として喜ばしいし、子どもたちの励みになる。横断幕を見てさらに実感がわいた」。余川昭一町内会長(66)は興奮気味に話した。

 そのころ東京では、田中さんが千代田区神田錦町の島津製作所東京支社に姿を見せていた。朝の訪問はスケジュール外。「時の人」の予期せぬ来訪に社員はわいた。祝福を受け、「決して1人で賞を取ったのではない」という実感が田中さんの胸中にわき上がった。

 「これから小泉首相に会いに行く」。田中さんは富山市町村の実家にいる妻、裕子さん(37)に電話したあと、官邸に向かった。到着は正午すぎ。着替える暇もなく、前日と同じグレーのスーツにチェックのネクタイ。報道陣が見守る中、赤じゅうたんを踏みしめて特別応接室に入った。少し遅れてもう1人の日本人ノーベル賞受賞者、小柴昌俊東京大名誉教授が着いた。小泉首相は笑顔で2人を出迎えた。

 夫が、この国のトップと握手を交わす瞬間を、裕子さんはテレビのニュースで見ていた。ふだんは飾らぬ夫が輝いて見えた。「何か不思議な感じがしました。映りは良かったと思います」。はにかむようにほほえむ。受賞決定の発表から直接顔は見ていないが、心はしっかり結びついていた。

 田中さんは島津製作所東京本社で午後3時から記者会見に臨んだ。報道陣から「自由な発想はいつごろ生まれたか」と質問が飛んだ。「大学時代の恩師らに培われたと思う。富山は忍耐強いと言われるが、自分はまさにそれに当たります」。古里の住民が田中さんのノーベル賞を誇りにするように、田中さんも生まれ育った富山の県民性を胸を張って紹介した。
島津製作所東京支社で記者会見
田中さん(正面中央)の会見に大勢の報道陣が集まった=島津製作所東京支社


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