ノーベル化学賞に田中氏(富山市出身) 目次へ >>ホームへ
■ノーベル賞 田中耕一氏はその時 − 同時進行ドキュメント 2002.10.13
 ノーベル賞受賞の決定以来、多忙な毎日を過ごしてきた田中耕一さんは12日、マスコミの取材を入れず、久しぶりに自分のペースで1日を過ごした。
“研究一筋”相変わらず
 祝福ムードいっぱいの実家がある富山市新川原町も、フィーバーぶりは一段落。取材への対応などで連日大忙しだった兄、雅之さん(51)ら家族も同様だった。

 通りにかけられた祝福の横断幕や自宅を見物に訪れる人も、この日はまばら。戻りつつある普段の暮らしに関係者はホッとした。

 近所のかまぼこ店では、客が田中さんの話で盛り上がっていた。「町を訪れる人が増えている。いろいろな人と(田中さんの明るい話題で)コミュニケーションできるのはうれしい」と店関係者。近所の偉人への祝福の思いでいっぱいだ。

 田中さんの妻、裕子さんは同市町村の実家で、朝からうきうきしていた。夕方には京都に戻り、3日ぶりに夫と会う。午前中、美容院で髪を整えた。

 帰宅の支度をしていた午後1時ごろ。報道関係から実家に「田中さんが勤務先の島津製作所(京都市)の役員待遇になる」という知らせが届いた。家族は驚いた。

 その直後に田中さん本人から電話が。なのに、昇進の話は一切せず、京都での段取りを裕子さんと打ち合わせただけだった。「早く会いたい」。裕子さんへの短い一言に、安らぎを求める気持ちがにじんでいた。

 「出世に無頓着なのは相変わらず」。裕子さんの父、光雄さん(79)は、研究一筋の娘婿に苦笑いするしかなかった。

 裕子さんは、母の光子さん(73)とタクシーで自宅を出ると、午後3時16分発のサンダーバード36号でJR富山駅から京都へ向かった。

 「何を話そうか」。車窓を眺めながら、思いを巡らせたに違いない。富山での温かい祝福や大きな報道ぶり…。環境の激変に戸惑ったこの4日間が過ぎ去った。

 午後6時すぎ、JR京都駅で田中さんと再会した。元気な顔色に安心した。報道陣と短いやり取りを交わし、駅を後にした。受賞決定後、初めて訪れた水入らずの時間。「ご苦労さま」「元気でよかったね」。富山が生んださわやかなカップルはノーベル賞の喜びをかみしめた。
大勢の報道陣に囲まれる田中耕一さん
ノーベル化学賞決定後、初めて裕子夫人に会い大勢の報道陣に囲まれる田中耕一さん=12日午後、JR京都駅


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