ノーベル化学賞に田中氏(富山市出身) 目次へ >>ホームへ
■ノーベル賞 田中耕一氏はその時 − 同時進行ドキュメント 2002.10.14
 おー、よくやったぞ−。田中さんが近畿富山県人会総会の会場に姿を見せると一斉にフラッシュが光り、歓声が起こった。妻の裕子さんを伴い壇上へ。立ち上がって拍手をする人や手を振る人。ノーベル賞受賞を祝う温かい気持ちに、夫妻は何度も頭を下げた。

 あらためて紹介を受けたあと、中沖知事や竹内弘則県議会議長らが花束と記念品を贈った。一躍脚光を浴びた若き研究者の手を次々と握り、祝福した。
「関西の父」に感謝忘れず
 田中さんは9日に受賞が決まって以来、生活のリズムが一転。分刻みのスケジュールをこなしてきた。この日の来場も本来なら難しかったが、近畿県人会の強い要望があったほか、「おっちゃん」と呼んで慕う元大阪県人会役員で伯父の広利さん(86)の口利きもあって、調整した。

 広利さんは東大阪市在住。島津製作所(京都市)に就職した田中さんにとって「現地の父」(兄、雅之さん)のような存在だった。田中さんはこの日のあいさつでも「伯父にはいろいろ世話になっている」と感謝の言葉を忘れず、恩に報いる律儀さを見せた。

 広利さんにとって息子のようにかわいがってきた田中さんが世界に認められたことは、このうえない喜びだったのだろう。控え室で中沖知事にあいさつした際も、田中さんとの会話に夢中だった。「あんたに電話しても、つながらん」と広利さん。田中さんは「おっちゃんは(自分を)つかまえられて、運がいい方や」と答え、激変した生活の苦労をにじませた。

 県人会員は田中さんの来場に興奮気味。「(何かの際に)おれも同じ富山県人やというてやったわ。鼻高かったでえ。(県人の)誇りやがな」。「内に熱い思いを秘めた努力家。こつこつとやるのも県人らしい。関西へ出るまではみんなこうだったんだ。昔を思い出して涙が出そうだよ」。称賛の声がわき起こった。

 田中さんは約10分間で会場をあとにした。近くのテーブルでは、再び一斉にフラッシュが光った。田中さんは入場したとき同様、ちょっぴり恥ずかしそうに頭を下げて、プライベートの週末へ戻って行った。
県人会役員の先導でステージに向かう田中さん(中央)と妻の裕子さん
祝福の拍手に包まれ、県人会役員の先導でステージに向かう田中さん(中央)と妻の裕子さん=京都市内のホテル


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