ノーベル化学賞に田中氏(富山市出身) 目次へ ホームへ

田中耕一氏のノーベル化学賞受賞記念講演
「レーザー照射による巨大分子イオン化の起源」 (要約) 2002.12.10
 私は入社以来約20年、質量分析装置の開発に携わってきましたが、化学のことを大学で専攻したわけではありません。ノーベル化学賞受賞者の中で、私は化学に対する最大のチャレンジャーであることは間違いないと思います。

 今回受賞に選ばれた「生体巨大分子の質量分析におけるソフト脱離イオン化法の開発」は、装置開発の仕事の一部でしかありません。1980年代当時、5人の開発チームの中で私は試料調整方法とイオン化技術の開発を担当していました。イオン化技術のみが優れていても、それ以外の技術が備わっていなければ、その成功を証明することはできなかったと言えます。
 (1)質量分析・TOF技術
 TOF−MSは、軽いイオンは速度が速く検出器に先に到達するという原理を応用しています。
 (2)リフレクトロン技術
 TOF−MSは、実際にはイオンは初速度分布を持っているために同じ大きさのイオンでも到達時間にばらつきが生じ、結果的に質量分解能が低下してしまいます。これを改善するためには、初期エネルギーを含めた位置エネルギーが異なっても、同質量で同電荷のイオンが検出器に同時に到達する方法(リフレクトロン)を考えました。この方法は、当時の同僚・吉田佳一氏によって開発されました。
 (3)遅延引き出し方法
 TOF−MSの原理では、全イオンはある瞬間に発生すると仮定しています。しかしながら、特にレーザー強度が高い場合、レーザー照射後もイオンが発生し続ける場合があります。飛行時間型ではこのイオン発生時間幅のために質量分解能が低下してしまいます。

 当時の同僚・吉田多見男博士は、イオンが発生し終わった後にイオン引き出しを行うことによって質量分解能を向上させることに成功しました。
 (4)イオン検出技術
 検出器とは、質量分離部で分離されたイオンを電流に変換することを意味します。感度を上げる最も簡易な方法は、質量分離後にさらにイオンを加速する方法です。もう一つの方法は、イオンをいったん電子に変換する方法です。当時の同僚・井戸豊氏は、この両方による効果が期待できる検出器を開発し、特に巨大分子イオンが発生しても十分な感度が得られるようにしました。
 (5)測定技術
 当時の同僚・秋田智史氏は、「パイプライン手法」を採用したアナログ・デジタル変換(ADC)回路を開発し、測定の高速化の要求を実現しました。また、当時の同僚・吉田佳一氏は、強度情報は犠牲にしてもイオンの到達時間を高精度に測定する時間・デジタル変換(TDC)回路を開発しました。
 (6)イオン化技術
 当時レーザーでイオン化できる化合物の分子量は1000程度であり、化学者の当時の常識からすれば「分子量1万を超える化合物のイオン化は不可能」と考えて当然でした。しかし私は化学の専門家ではなく、そのような常識を意識していませんでした。
・UFMPマトリックス使用
 金属超微粉末(UFMP)と有機化合物試料を混合すれば、レーザー光がUFMPに高効率で吸収され、熱が散逸することなく高温に急激に到達でき、混合物中の試料を効率よく加熱することができます。このUFMPをマトリックスとして用いることを考案したのは、当時の同僚・吉田佳一氏です。このマトリックスを用いることにより、多数の有機化合物からこれまで測定できなかった分子イオンを測定できるようになりましたが、巨大分子の分析には適用できませんでした。
・グリセリンマトリックス技術
 グリセリンがレーザー光波長337nmを吸収しないため、有機化合物の分子イオン発生促進には有意な効果が見受けられませんでしたが、均一な混合に効果があるため再現性の向上には役立ちました。
・UFMP・グリセリン混合マトリックス技術
 ここで暗礁に乗り上げてしまったといえます。その後もUFMPを保持する有機溶媒や濃度を変化させることなどを行って少しでも良好なデータを得ようと試行錯誤を繰り返しているときに、私は大きなミス(a monumental blunder)を犯してしまいました。UFMP保持材として通常アセトンを用いていましたが、ある日、(1)間違ってアセトンの代わりにグリセリンを使ってしまったのです。(2)「UFMPは高価であり、捨ててしまうのはもったいない」と思い、その失敗作をマトリックス溶液として使ってしまいました。(3)グリセリンは真空中で徐々に気化するのですが、ただ待っているより気化を促進させた方が良いと思い、レーザーを照射し続けました。(4)しかも1分でも早く結果を見たかったため、TOFスペクトルをモニターしていました。このように、少なくとも4つのファクターがすべてそろって、以前に見られなかった現象を初めて観察することができました。(1985年)
 その後、濃度などのパラメータを最適化しながら高質量イオンへ進展していった結果、質量数としては10万を超えるイオン、分子量としては3万5000のイオンを測定できるようになりました。
 (7)社外への発表
 1987年5月、私たち5人は京都で開かれた日本質量分析学会連合討論会で社外に初めて発表しました。発表にはある程度の反響がありましたが、この技術が大きく育つことを理解できる人はほとんどいませんでした。もちろん、私たちも「科学的進歩を成しえて、それを学術的に対外発表できた意義」を確認できた満足感で十分と思っていたのです。
 (8)技術を欧米へ伝える
 私は1987年9月に宝塚で開かれた第2回日中質量分析連合討論会に参加し、英語で初めて発表を行いました。そこに参加されていたコッター教授は私の高質量のデータに感動し、フェンスロー教授とともに、そのスペクトルのコピーを欧米の研究者に伝えられたとのことです。

 大阪大学の故松尾武清助教授は、この技術の重大性をよく認識された方の1人であり、英語正式論文発表を熱心に勧められ、その結果私たちはMALDIの元祖として知られる論文を1988年に出すことができました。
 (9)MALDI技術へと発展し、世界のさまざまな分野に活用される
 その後、私たちの技術は特に欧米で多くの人々によって改良されました。私が特にここで申し上げたいのは、カラス、ヒレンカンプ両教授の賞賛に値する努力です。両教授の絶大かつ継続的努力と何千人もの研究者の研究成果がなければ、世界で多くの人々に役立つ技術に発展しなかったのは確かです。

 この巨大分子イオン化技術の開発は、1人の天才・優秀な人物によって成し遂げられたのではありません。それは、チームワークの勝利であり、よい技術の発展を目指す多くの人々のまじめな活動の結果です。化学の歴史は長く、化学に関する技術はもう既に開発され尽くされていると思われがちです。その中で新しい理論を構築し世の中に役立てるためには、専門分野の知識を総動員することが求められます。しかし、私の見出した手法は化学の常識を打ち破るものであったとも言えます。もし私が常識にとらわれていたら、このようなユニークな発見はできなかったと思います。高度の専門知識や高い学歴を持たなくとも、化学技術の発展に貢献できることを実証できました。それによって、世界の多くの人々、特に企業で働いている技術者に勇気と夢を持っていただけるならば、私にとってこれほどの喜びはありません。

 2002年12月8日 ストックホルム大学にて



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